南びわ湖エリア情報

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横町道標は東海道側の草津宿入り口★草津市

天井川である草津川の渡し場は、草津宿への入り口になっていました。江戸方面(東日本)から草津宿へ入るには、東海道中山道(なかせんどう)の2つの道がありました。

東海道草津宿入り口に建つのが「横町道標」です。

 

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東海道側 草津宿入り口に建つ「横町道標」

 

 

これに対して、 

中山道 の渡し場に建つのは追分道標です。 

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道標マップ

画像引用元:

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/shokai/2019kurashibenri.files/026_027.pdf

 

 

目次

 

 

 

東海道の「目川」から「草津宿 追分道標」までの道のりです。 

 

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国道1号の上にかかる東海道さんぽ用の 草津宿草津駅前のタワーマンションが見えています。

 

 

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さんぽ道を整備してくれている草津市、素敵です。国道1号が通る草津市は交通の要衝です。こっち側が至る大津市の方向。

 

 

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国道1号、こっちが至る栗東市の方向。おぉ、見えてます。緑色の屋根。
 

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ちょっと左に移動すると、緑の屋根と看板が見えました。

 


拡大すると

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うばがもち屋です。

東海道をさらに京都方面に進んだところの 矢倉道標 がある矢倉立場(やぐらたてば)が、もともとの「うばがもち屋」です。今は、この国道1号沿いに移転されています。

東海道さんぽ道から、現在の「うばがもち屋」は見ることができました。

 

ちょっと回り道になりますが、「うばがもちや 本店」に立ち寄ります。

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橋から見えていた緑の屋根と看板です。

 

 

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店の両側に、神社の狛犬のようにライオンが守っています。

 

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画像引用元:『山下清の東海道五十三次』その18: スローリィーのブログ

 

山下清さんは、草津宿の絵として、移設されたこっちの「うばがもちや」を描いています

《 この家だけ古っぽくしてあるのは どういう訳かというと ここの餅屋は昔からの名物を売ってるとこで 古っぽくしている方がお客さんがたくさん来るんだな 名物は姥ヶ餅だけど 餅がきらいなお客さんもあるんだな 餅がきらいならここへ来なければいいんだけど この辺りにほかに食堂はないな だから餅でない食物も売ってるのは 親切心というのかな 》(山下 清)

 

東海道に戻ります。

 

草津宿の入り口です。東海道側の草津川渡し場。天井川として過去に洪水被害をもたらしてきた草津川は、今では廃川となり公園「de愛ひろば」として整備されています。ちょうど草津川だったところに、車が並んでいて、ここは現在、

de愛ひろばの国道側の駐車場(40台)です。

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写真の左側に横町道標、草津川の土手だったところに高野地蔵、その奥に立木神社御旅所が見えます。整備されて高野地蔵は、設置場所が地図と異なっています。de愛ひろばは、こっちの国道側に駐車場(40台)があり、反対側のJR草津駅側にも駐車場(60台)があります。

 

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画像引用元:

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kurashi/toshikeikaku/kusatsugawaatochi/kusatsu_river.files/parkingmap.pdf

 

de愛ひろば(区間5)

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/kurashi/toshikeikaku/kusatsugawaatochi/kusatsu_river.html

 

町道標について見ていきます。

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案内板があり、この道標は道の反対側にあったと書かれています。高野地蔵も場所が移されているし、もしかしたら、横町道標も今後、道の反対側に移されるのかもしれません。

 

 

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枝がじゃまなので、角度を変えてもう一枚写真をとります。

 

 

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町道標の案内板

草津宿の江戸方の入り口でありました草津川の堤上建つ火袋付石造道標です。総高は約三・九メートルを測り、日野の豪商中井氏の寄進によって文化十三年(一八一六)三月に建てられました。

竿には

「右金勝寺志がらき道」

「左東海道いせ道」

とそれぞれ行き先を刻んでいます。なお、道標はかつて道を挟んで北側にありました。

 

草津市教育委員会

 

町道標の現在位置と昔の位置を地図上に描いてみます。

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昔の位置だと、指し示す先と道は合っています。

が、横町道標はそもそも、この位置に設置されるために作成されたものなのか疑問に感じます。道標の多くは道がみつまたに分かれている三叉路(三差路・Y字路)に設置されています。ここだと、草津宿の入り口の目印にはなりますが、道案内の役割は無いように思います。東海道の一本道にあって、道標から「左側は東海道」で「右側は信楽道」と示していたんだろうか?と疑問に思うわけです。それを強く思うのは、「左 東海道」ではなく「左 東海道 いせ道」とあり、伊勢は反対側です。つまり京都方面を示すのに「いせ道」とつけるだろうか?と思うのであります。左右に分かれるのではなく、伊勢も金勝寺も信楽も同じ方向を指すことになってしまうのです。

 

では、この疑問点を解決するには、違う場所に置く予定で作成した道標が、何かの理由で草津宿の入り口の目印に置かれることになったのではないかと推測します。

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私の勝手な独断と偏見ですが、この横町道標は、東海道の石部と手原の間のの場所に置かれる道標として作られたのではないかと思っています。栗東市の旧和中散本舗の近くの三叉路です。

 

拡大図

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ここだと、とても辻褄が合います。

 

以上、妄想の時間でした。

 

さぁ、横町道標を過ぎれば、もう草津宿の追分道標(中山道との合流点)はもうすぐです。 

 

 

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東海道には古い建物が残っていて、趣を感じます。

 

 

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元五会館は、お堂が建物に組み込まれています。

 

中山道との合流点が見えてきました。

 

 

江戸方面

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