南びわ湖エリア情報

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矢倉道標は「急がば回れ」で行くかを思案したところ★草津市

江戸時代に、東海道を歩いて京都へ向かう旅人は、

草津宿を過ぎてしばらく歩くと「右やばせ道」と書かれた道標に出会います。

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矢倉道標 寛政10年(1798年草津市指定文化財 
「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」

滋賀県草津市旧東海道にある「矢倉道標」です。写真 にうつっている道が旧東海道で、この道の奥が京都方面(瀬田の唐橋方面)になります。

(ここは一方通行になっており、車は草津宿方面にしか進めませんので注意!)

 

この矢倉道標は、歌川広重のこの絵 矢倉立場)のところです

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画像引用元:東海道五拾三次之内 53 草津《名物立場》 文化遺産オンライン

 

江戸時代には、この場所に「うばがもち」を売るお茶屋さん(お茶処)があり、旅人がお茶を飲み、もちを食べ、休憩していました。今で言う喫茶店のことを「立場」といい、ここは 矢倉立場(やぐらたてば)と呼ばれました。

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とても分かりやすい案内看板で説明されてます。なお、現在の うばがもち屋 は国道沿いに移転されています。矢倉道標がある この場所は、今は 瓢泉堂 という瓢箪(ひょうたん)のお店です。

矢倉立場

 東海道五十三次の 52番目の宿場・草津宿南に続く矢倉村。

立場とは 宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた 名で、矢倉村には草津名物の「うばがもち」を売る店があった。

 

 この地に、そのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や『東海道名所図会』『伊勢参宮名所図会』などに、旅人が立ち寄って、うばがもちを賞味する光景が描かれている。

 

 また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に「瀬田に廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。

 

 そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言で「急がば廻れ」の語源になったところでもある。

 

 武士もののふの やばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋

 

(「醒睡笑」)と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりの方が着実であることから、成果を急ぐなら、遠回りでも着実な方法をとる方が良いことを指南したものである。

 

南びわ湖街道ウォーカー - 南びわ湖エリア情報

 

 

瀬田へ回れば三里の回り ござれ矢橋の舟に乗ろ

矢倉から矢橋へ。矢「倉」も矢「橋」も、どちらも矢が付いているので見間違えそうですが、この矢倉道標から渡し場の矢橋港までが 矢橋道(やばせみち)=矢橋街道です。 

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上の矢倉立場の絵では、2人の旅人が「右やばせ道」と道標が示す矢橋道の方へ進もうとしています。そのうちの1人は、やばせ道の方を「こっち行くか」と指さしてますねw

こっちの矢橋街道は大津までの「近道」(舟を使った歩かずにすむ楽な道、早道)です。

東海道をそのまま進むと 歩いて橋を渡る「回り道」である、瀬田の唐橋に向かいます。

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過去に びわ湖エリア情報 では下の図 を使って、「急がば回れ」の説明をしていますが。

ツイッター(2017年11月17日)と、そのリンク先のライブドアブログ記事「急がば回れ」の舞台は、「草津の矢橋」と「瀬田の唐橋」なのでした!(2016年8月30日)

この図 は、「急がば回れ」の 近道としての「矢橋街道+渡し」

および 着実な遠回り道としての「旧東海道瀬田の唐橋)」

としては、完全に間違いです。注意して下さい! 申し訳ありません m(_ _)m

現代の道のイメージ図として使って下さい! そもそも、矢橋帰帆島は、1982年につくられた人工島で、江戸時代にはありません。。。 瀬田の唐橋から大津宿までの旧東海道も分かっていなかった。。。

 

正しく 近道(舟路)遠回り道 を表しているのは、この図 です。 

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画像引用元:

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/sisetsuannai/community/UDCBK/mirai/udcbk120180414.files/20180203.pdf

江戸時代の当時、現在の草津市の地域には、「矢橋(やばせ)「山田」「志那」の 3つの港がありました。 

 

矢橋の渡しの行き先は、大津の「石場」「小舟入がありました。

 

矢橋小舟入航路図

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画像引用元:ツイッター 大津市歴史博物館 @otsu_rekihaku

 

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画像引用元:近江国

 

最新大大津市及近郷図/[カラー版] 昭和11年(1936)

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画像引用元:滋賀県立図書館 近江デジタル歴史街道

上の地図 を見ると 昭和11年(1936年) の時点では、 京阪石山坂本線の線路(びわ湖浜大津駅石場駅区間)が琵琶湖の湖岸線のギリギリにあったことが分かります。

 

 

素数が大きな「矢倉立場」の浮世絵があったので再度、引用します。

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画像引用元:保永堂版東海道五十三次 草津

 

高精細な絵(写真)だと、人々の動きの細部まで確認できますね。

矢橋道へ進もうとする2人の、指さしてる人の表情まで見えましたw

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それでは、せっかくなので、江戸時代のお茶屋さんのお店を見てみましょう。

新規のお客さん4人が入ってきましたよーw
うばがもちを作ってる店員さん2人かな? こねる人 と 丸める人。 

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床几台(しょうぎだい)に座って、お茶を飲む人。店員さんが運ぶ うばがもち に目が釘付けw 店員さんは全員が藍色の服なのかな? うばがもちを奥へ運んでいます。

店先では、笠をかぶった人と馬を引く人が話をしています。

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店員さんの手のお皿にのってる丸いのって、やっぱり うばがもち ですよね! お茶飲むのも忘れて釘づけw

うばがもちの上のポチっとした白いのが描かれているディテールっぷりw

お皿の上に1個だけの うばがもち なので、おかわりの注文かな。それとも試食か。

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昔の うばがもち は、白のポチっのところが大きかった。 

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画像引用元:草津市[市勢要覧]  

 

今のは、こんな 

 

奥で足だけ見える3人がしゃべってる。 

扇子をもった人は、藍色の服だから店の女将さんか? 隣のお客さんのところに うばがもちを運ばせていると予想w

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女将さんの前の席には、2人組。1人はうばがもちを食べ、もう1人は食後のキセルかな?

2人組の正面も、また2人組。1人はうばがもちを食べ、もう1人は食べ終わって足元を結び直して出発の準備か。棒の両端に大きな荷物で飛脚っぽい。

入り口付近の席に1人の疲れた旅人がお茶を飲んでいる。「やっぱり瀬田の唐橋回りにしとくか~」

そして、店先には籠にのったままの人と、暑くて汗をぬぐう担ぎ手が1人だけ。もう1人はお手洗いに行ったのか。 

お茶屋の店の様子が、生き生きと描かれています。

 

 

勢多へ廻ろか矢橋へ下ろか ここが思案のうばがもち

 

旅人はこの矢倉立場(お茶処:うばがもち屋)で、うばがもちを食べながら

近道 と 回り道 どちらを行こうか思案しました。道に不慣れな者が、隣の旅人に相談すると「急がば回れ」と言われます。なぜなら、、、

 

琵琶湖に吹く風

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特に冬の琵琶湖(南湖)には、「比叡おろし」という西風が吹いて舟が難破することがありました。比叡おろしは、比叡山のある対岸の大津側から矢橋港に向かって吹く「向かい風」なので、この風が吹くと帆船で矢橋から大津へ渡ることはできなかったということ。

よって、「急ぐなら、舟ではなく、遠回りだけど安全な瀬田の唐橋を歩いて行けよ」と経験豊富な旅人は言うのでした。

これが、「急がば回れ」の由来です。

 

 

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画像引用元: 瀬田から草津宿、石部宿、横田川渡し その1 | Are you Happy?

東海道名所図会 「草津」姥ヶ茶屋

 

 

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画像引用元:東海道名所図会と伊勢参宮名所図会

伊勢参宮名所図会 「草津」乳母ヶ茶屋

 

 

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画像引用元:2017年10月 - WEB錦絵美術館

御上洛東海道 6
119.草津
一光斉芳盛

 

ここを、この旧東海道大名行列が進んだのかぁ。絵に描かれているよりも道幅が意外と狭いように感じるけど、後にせまくなったのか、絵が誇張されてるのか。昔は車無いから今の道幅ぐらいでいいのかぁ(道幅が狭いので一方通行です)。矢橋(やばせ)の舟の船賃は、いくらだったんだろう。矢倉立場の絵の「かご」に乗ってみたい。めっちゃ揺れたんだろうなぁ。。。空想がふくらみますw

 

現在の東海道と矢橋街道の追分(分岐点)はこんな感じです。写真 の道(やばせ道)をまっすぐ行くと矢橋帰帆島公園の方向、「矢橋の渡し」で栄えた矢橋湊(港)の方向になります。

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矢橋街道は、矢倉道標のある矢倉追分から始まって、矢橋港(琵琶湖)まで続きます。

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矢橋街道を行くには、旧東海道から矢倉道標のところを「右やばせ道」の方向に曲がります。が、ずっと直進するとJRの線路にぶつかって行き止まりになってしまうので注意です。

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直進してJR線路にぶつかるところ 

 

 

直進すると線路にぶつかって行き止まりなので、その手前のここを右折します。

矢倉道標が建っていたお店(瓢泉堂)の看板がたっている建物のところを右折。

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ここを右折して、しばらく行くと

ストリートビューでは工事中になってるJR線路のアンダーパスがあります。

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ストリートビューは工事中だけど、グーグルマップ(写真)では、完成してますね。

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現在は、ここの工事は完了していて、歩行者・自転車通路になっています。

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なんか、すごい整備されてて、いい感じw

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矢橋道の説明書きがあります。

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矢橋道(やばせみち)と「急がばまわれ」

  矢橋道は、東海道の矢倉村から分かれ、大津への渡し船の船着場(ふなつきば)・矢橋港へと至る(いたる)25丁(2.7km)の道すじです。東海道からの分岐点には『東海道名所図会』(ずえ)などにも描かれた草津名物うばがもちを売る店がありました。矢橋港までの道沿いには鞭崎(むちざき)八幡宮があり、港付近には船代官(ふなだいかん)の屋敷や船宿(ふなやど)も並んでいました。

 

 草津宿と大津宿の間は、瀬田橋を渡る東海道の本ルートと、この矢橋道を経(へ)て矢橋から対岸の大津へと渡る渡し船ルートがあり、「急がばまわれ」のことわざの語源にもなったところでもあります。このことわざは室町時代連歌師宗長(れんがしそうちょう)

 

もののふの 矢橋の舟は早くとも 急がば回れ 瀬田の長橋(ながはし)」

 

と詠(よ)んだことに由来するもので、矢橋・大津の間を渡し船は一見早道のようにみえますが、危険を伴うこともあるので瀬田橋を渡るほうが距離は長くても着実であることから、急ぐのであれば、多少の遠回りでも着実な方法をとるように戒(いまし)めたものです。

 

もののふの(武士の)」は、枕詞で矢橋の「矢」にかかっています。

もののふ‐の【武=士の】
[枕]

文武の官が属する氏は数が多いところから、「八十(やそ)」およびその複合語に、また「い(五十)」と同音を含む地名「岩瀬(いわせ)」にかかる。

「―八十宇治川(やそうぢがは)の網代木(あじろき)に」〈万・二六四〉

「―磐瀬(いはせ)の社(もり)のほととぎす」〈万・一四七〇〉

弓矢を帯びた武士の意から、「矢」と同音を含む地名「矢野」「矢田野」にかかる

「―矢野の神山霞(かすみ)たなびく」〈玉葉集・春上〉

引用元: もののふのとは - Weblio辞書

 

 

 通路は途中で曲がっています。

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貨物列車が通りましたw

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 きれいな通路で、バッチリ線路の向こうへ出られます。

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では次に、

矢倉道標の 文字 について見ていきます

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「右やばせ道」と解説されていますが、ぱっと見たら「右やむせ道」?

」ではなく

「や せ」? 」? 「」?

と二度見してしまいます。

「ば」と読む字が、「む」のような「え」のような「之」のような字に見えます。

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画像引用元:変体仮名 - Wikipedia
 

これは、古い ひらがな で変体仮名(へんたいがな)と呼ばれる文字です。

この「む」の点が無いような字は「は」と読む 古い ひらがな です。元の漢字は「者」

 

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画像引用元:変体仮名 - Wikipedia

変体仮名(へんたいがな)は、平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていないものの総称である。

 

平仮名の字体の統一が進んだ結果、現在の日本では変体仮名はあまり使用されなくなったが、看板や書道、地名、人名など限定的な場面では使われている。

 

異体仮名(いたいがな)とも呼ばれる。

 

また、ケンペルの日本誌では、大和仮名(やまとがな)とも表記されている。

 

変体仮名に対し、現在使われている字体を「現用字体」「現用仮名」「正体仮名」「本則仮名」と呼ぶ。

 

また、変体仮名の使い分け(現用字体を含む)のことも「変体仮名」と呼ぶことがある。

 

つまり、文字としては(者は、ひらがなで)

 「右や者せ道」と書いてあって、

音は「みぎ やはせ みち」

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おぉ、その文字、どっかで見たことあるという人はいると思います。

そうです。これの文字です。

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そば屋さんの看板などの文字の 「ば」の文字です。

なるほど、「やばせ」と「そば」の「ば」は、いっしょの文字で納得です。

 

いやいやいや、ちょっと待った。

 

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「そば」の方は濁点があるけど、「やばせ」の方は濁点が無い やん。。。w

 

ほんとや、濁点が無い。。。

「やばせ」ではなく、矢橋は「やはせ」と呼んでいたのか?

「やはせ」って書いてあったら、「やばせ」って分かるやろっ!と濁点は省略なのか?

 

謎です。うーん気になるw

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画像引用元:

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/sisetsuannai/community/UDCBK/mirai/udcbk120180414.files/20180203.pdf

 

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変体仮名の画像引用元:【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「あ行」

 

醒睡笑(せいすいしょう)の文字を確認してみると、「やはせ」で濁点は無し。

ん?、上の資料ですが、説明文には醒睡笑と書かれていますが、

写真の方は「雲玉和歌抄」になっています。。。ひっかけ問題かw

なので、雲玉和歌抄(うんぎょくわかしょう)の文字では、

「やはせ」で濁点は無し。

というか「いそかはまはれ」と、ひらがな全部の濁点は無しw

漢字は「舟」と「長」だけで、あとは ひらがな で書かれていました。

 

瀬田の唐橋は「からはし」ではなく、橋(ながはし)と呼ばれていたようです。

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長はしの「長」という漢字はくずれていてるので、これが、間違いなく長の漢字なのかを確かめるために、他の  を見て見ましょう。

 

 

長の漢字を使っているものと言えば、織田 信

織田信長の朱印状を見てみます。

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画像引用元:織田信長朱印状

 

「信長」の文字は

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二つの「長」を比べてみると

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ほぼ同じくずし方なので、「長」の漢字で合っていそうです。

 

 

こっちが、醒睡笑(せいすいしょう)

「やせ」で濁点有り。

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画像引用元:

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/sisetsuannai/community/UDCBK/mirai/udcbk120180414.files/20180203.pdf

「いそはまわれといふことは、
物ことにあるべき遠慮なり 宗長のよめる
武士のやせの【ふねははや】くとも
いそはまわれ 瀬田の長はし」

 

※判読不能【ふねははや】

     ハくすわかに見える、、、写し間違い? 分かりません。

ここだけ、読めない。。。

上の雲玉和歌抄の「舟ハはやく」の部分と見比べると、百歩ゆずって

「舟⇔ハ」「く⇔ハ」「す⇔は(者)」「わ⇔や」「か⇔下のくの一部」と見えないこともない。。。

昔の文章を一言一句、読もうとするとハマるw(おもしろいほうじゃなくて、ドツボのほうです。)

 

書いた人の個人差が出まくって読みにくい「くずし字」をAIで判読するサービスがグーグルアプリとかで無料提供される日がきてほしいーw

www.itmedia.co.jp

 

 

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画像引用元:

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/shisei/sisetsuannai/community/UDCBK/mirai/udcbk120180414.files/20180203.pdf

 

資料的には、文字として「やせ」「やせ」もどっちもあったw

話がどんどん逸れてしまい、これ以上は 奥が深くて沼にハマるwので、

「やはせ」という音だったのか?

音は「や ば せ」だけど濁点を略してるのか? どちらなのかは謎としておきますw

なんとなく分かることは、なんとなくのままにして過ごすのが、昔のやり方だと理解しています。昔のいいかげんさ、というか、おおらかさは見習うべきところが多いと感じています。 

 

「者」を「ば」と読ませる例もあったので載せておきます。

陳者(のぶれば)
【意味】申し上げますが

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画像引用元:“陳者(のぶれば)”の例文|ふりがな文庫

 

ちなみに、矢倉立場の浮世絵の「う のちゃ」には濁点有りです。

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高精細な絵で見ると、この解釈 は間違えてました。 

屋根のところの看板は、お茶処なので「うば ちや」「乳母の茶」という意味かと思っていたのですが、画質のいい絵で確認するのと「うば  ちや」が正解でしたw

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画質が悪いと「の」に見えていた文字は、実は「も」でした。

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 画像引用元:【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「ま行」

 

下にも「うばもち」の看板があって、間違えていることに気が付きました。
最初に見ていた絵だと、これが看板だと分からなかったw 高画質すげー!

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こっちの看板の「も」は、毛 のほうじゃなくて  のほうの ひらがな だと思います。

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画像引用元:【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「ま行」

 

で、言いたかったことは、「や せ」は濁点が無いけど、「う もちや」には濁点があるということ。話が逸れまくってるw

 

しかし、昔の「枕詞」といい、「ひらがな」といい、昔の人の頭の柔軟さはスゴイなと思います。変体仮名は、同じ音なのに、いっぱい該当する漢字があって、その元になる漢字ごとにいっぱい ひらがな がある。「も」(mo)という音に対して、毛 を元にしたひらがなと、母 を元にした ひらがな、さらに などの他の漢字を元にした、多くの ひらがな がありました。そのとき、そのときの状況によって、たくさんのスイッチを切り変えながら文字を読んでいたということ。

 

説明が難しいけど、

助詞の「は」「へ」「を」の3字だけは、現在もスイッチが残っていて、
「わたしわこれおそこえおく。」はスイッチが入って、音は同じだけど
「わたしはこれをそこへおく。」になる感じ。

同じ音の「違う漢字を元にした ひらがな 」を、状況(スイッチ)によって使い分けている。昔は、全ての音にスイッチがいっぱいあった感じw 古文書 沼おそるべし。

 

昔の人は、ある意味「変態かな」と思うw (もちろん、変体仮名にかかっているw)

  

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「これより廿五丁 大津へ船わたし」 

 

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廿(にじゅう)という漢字は、十 じゅうが2つ横に並んで下をつなげた漢字です。十が2つなので、二十という意味です。船は、こっち「舩」の漢字ですね。

変体仮名を、ちょっとだけ覚えると、あのシーンのムスカの気持ちがちょっと分かりますw

 

 

滋賀県草津市にある 矢倉道標 の場所は ここです。

 

 

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江戸方面

東海道草津宿」編 へ進む

東海道立木神社」編 へ進む

矢倉道標 ←今ココ

急がば回れ近道矢橋道」編 へ進む

急がば回れ遠回り道

        ↓

      瀬田の唐橋方面 東海道「萩の玉川」編 へ進む

京都方面 

 

 

南びわ湖街道ウォーカー - 南びわ湖エリア情報

 

 

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以下、ネット上の反応