江戸時代に、東海道を歩いて京都へ向かう旅人は、
草津宿を過ぎてしばらく歩くと「右やばせ道」と書かれた道標に出会います。
矢倉道標 寛政10年(1798年)草津市指定文化財
「右やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」
滋賀県草津市の旧東海道にある「矢倉道標」です。写真 ↑ にうつっている道が旧東海道で、この道の奥が京都方面(瀬田の唐橋方面)になります。
(ここは一方通行になっており、車は草津宿方面にしか進めませんので注意!)
この矢倉道標は、歌川広重のこの絵 ↓(矢倉立場)のところです
画像引用元:東海道五拾三次之内 53 草津《名物立場》 文化遺産オンライン
江戸時代には、この場所に「うばがもち」を売るお茶屋さん(お茶処)があり、旅人がお茶を飲み、もちを食べ、休憩していました。今で言う喫茶店のことを「立場」といい、ここは 矢倉立場(やぐらたてば)と呼ばれました。
とても分かりやすい案内看板で説明されてます。なお、現在の うばがもち屋 は国道沿いに移転されています。矢倉道標がある この場所は、今は 瓢泉堂 という瓢箪(ひょうたん)のお店です。
矢倉立場
立場とは 宿場と宿場の間に茶店などが設けられ、旅人が杖を立てて休んだことからついた 名で、矢倉村には草津名物の「うばがもち」を売る店があった。
この地に、そのうばがもちがあり、歌川広重の浮世絵や『東海道名所図会』『伊勢参宮名所図会』などに、旅人が立ち寄って、うばがもちを賞味する光景が描かれている。
また、ここからは対岸の大津へと琵琶湖の湖上を渡る「矢橋の渡し」の渡し場である矢橋湊へ続く矢橋道が分岐していた。浮世絵などにも描かれた道標が、今も軒先に建っている。旅人は、俗謡に「瀬田に廻ろか矢橋へ下ろかここが思案の乳母が餅」と詠まれ、旅人の多くは、ここで東海道を瀬田橋まわりで行くか、矢橋道を経て矢橋湊から船で大津へ渡るかを思案した。
そして、この地と矢橋の渡し、瀬田橋は、よく使われる俚言で「急がば廻れ」の語源になったところでもある。
武士(もののふ)の やばせの舟は早くとも 急がばまわれ 瀬田の長橋
(「醒睡笑」)と詠まれ、近道であっても、湖上が荒れて舟が出なかったり、風待ちをしたりする矢橋の渡しを利用するより、回り道でも瀬田橋まわりの方が着実であることから、成果を急ぐなら、遠回りでも着実な方法をとる方が良いことを指南したものである。
「草津の矢橋」と「瀬田の唐橋」
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) November 17, 2020
この2つのルートのどちらを行こうか「うばがもち」を食べながら思案した旅人
旧東海道 矢倉道標 (姥が餅屋旧跡)
勢多へ廻ろか矢橋へ下ろか ここが思案のうばがもち
「急がば回れ」の舞台は琵琶湖https://t.co/UY3ENNOG4j
滋賀県 草津市 矢倉道標 pic.twitter.com/q6qFkfi33k
瀬田へ回れば三里の回り ござれ矢橋の舟に乗ろ
矢倉から矢橋へ。矢「倉」も矢「橋」も、どちらも矢が付いているので見間違えそうですが、この矢倉道標から渡し場の矢橋港までが 矢橋道(やばせみち)=矢橋街道です。
上の矢倉立場の絵では、2人の旅人が「右やばせ道」と道標が示す矢橋道の方へ進もうとしています。そのうちの1人は、やばせ道の方を「こっち行くか」と指さしてますねw
こっちの矢橋街道は大津までの「近道」(舟を使った歩かずにすむ楽な道、早道)です。
東海道をそのまま進むと 歩いて橋を渡る「回り道」である、瀬田の唐橋に向かいます。
過去に 南びわ湖エリア情報 では下の図 ↓ を使って、「急がば回れ」の説明をしていますが。
ツイッター(2017年11月17日)と、そのリンク先のライブドアブログ記事「急がば回れ」の舞台は、「草津の矢橋」と「瀬田の唐橋」なのでした!(2016年8月30日)
「急がば回れ」の舞台は、「草津の矢橋」と「瀬田の唐橋」なのでした!
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) November 17, 2017
近道の矢橋の渡し(草津市)があるけれども、急ぐなら琵琶湖を回って瀬田の唐橋(大津市)を通って行けよという言葉
滋賀県https://t.co/lMHjBpBBLg
この2つのルートのどちらを行こうか「うばがもち」を食べながら思案した旅人 pic.twitter.com/KGpjNGtFfa
この図 ↑ は、「急がば回れ」の 近道としての「矢橋街道+渡し」
としては、完全に間違いです。注意して下さい! 申し訳ありません m(_ _)m
現代の道のイメージ図として使って下さい! そもそも、矢橋帰帆島は、1982年につくられた人工島で、江戸時代にはありません。。。 瀬田の唐橋から大津宿までの旧東海道も分かっていなかった。。。
正しく 近道(舟路)と 遠回り道 を表しているのは、この図 ↓ です。
画像引用元:
江戸時代の当時、現在の草津市の地域には、「矢橋(やばせ)」「山田」「志那」の 3つの港がありました。
矢橋道の終点が矢橋港
— ゆ・ぅ・じ (@yuji15llp) October 18, 2020
江戸時代はさぞ栄えた港だった事でしょう
家康も秀吉も渡った矢橋港…
ちなみに私の小学生の時の遊び場のひとつで左の公園は当時はびわ湖でした
(湖周道路造成のために埋めたれられ当時の面影は常夜灯跡のみ) pic.twitter.com/iU0qOFfBLI
矢橋の渡しの行き先は、大津の「石場」と「小舟入」がありました。
大津湖岸なぎさ公園
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) February 13, 2021
石場
琵琶湖の常夜灯
もとは大津警察署裏にあった
昭和43年、県立琵琶湖文化館前に移設
平成17年、びわこホール横の打出の森に再度移設
滋賀県 大津市 #びわ湖さんぽ #急がば回れ
JR大津駅から琵琶湖までhttps://t.co/Hea7MN3P9f pic.twitter.com/adRVopbH6T
琵琶湖の常夜灯
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) February 13, 2021
小舟入
矢橋の渡しがあった頃の湖岸線が分かり貴重
滋賀県 大津市 #びわ湖さんぽ #急がば回れ
JR大津駅から琵琶湖までhttps://t.co/vvxk743OGI pic.twitter.com/GN7LXGFnz0
矢橋小舟入航路図
画像引用元:ツイッター 大津市歴史博物館 @otsu_rekihaku
江戸時代の #琵琶湖水運 【矢橋小舟入航路図】
— 大津市歴史博物館 (@otsu_rekihaku) April 2, 2020
「急がば回れ」の由来をご存じですか?危ない近道より、安全な遠路を行った方が結果的に早いというもの。
この絵図は、その由来にもなった大津(小舟入)と草津(矢橋)を結ぶ近道ルートと、唐橋を通る東海道ルートを示したもの。舟渡には、百艘船も関与! pic.twitter.com/ch0Zx8nwaK
画像引用元:近江国
画像引用元:滋賀県立図書館 近江デジタル歴史街道
上の地図 ↑ を見ると 昭和11年(1936年) の時点では、 京阪石山坂本線の線路(びわ湖浜大津駅 ~ 石場駅 の区間)が琵琶湖の湖岸線のギリギリにあったことが分かります。
琵琶湖の常夜灯
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) February 14, 2021
石場の常夜灯は現在の湖岸線へ移設https://t.co/4uf2ijiJBB
小舟入(こふないり)の常夜灯
京阪の線路が、昔の湖岸線
(常夜灯のおかげで、埋め立て範囲を実感できて貴重)#東海道さんぽ
滋賀県 大津市 #びわ湖さんぽ #急がば回れ
JR大津駅から琵琶湖までhttps://t.co/B2YfiRD3DR pic.twitter.com/ZRsGfCYxWF
画素数が大きな「矢倉立場」の浮世絵があったので再度、引用します。
画像引用元:保永堂版東海道五十三次 草津
高精細な絵(写真)だと、人々の動きの細部まで確認できますね。
矢橋道へ進もうとする2人の、指さしてる人の表情まで見えましたw
それでは、せっかくなので、江戸時代のお茶屋さんのお店を見てみましょう。
新規のお客さん4人が入ってきましたよーw
うばがもちを作ってる店員さん2人かな? こねる人 と 丸める人。
床几台(しょうぎだい)に座って、お茶を飲む人。店員さんが運ぶ うばがもち に目が釘付けw 店員さんは全員が藍色の服なのかな? うばがもちを奥へ運んでいます。
店先では、笠をかぶった人と馬を引く人が話をしています。
店員さんの手のお皿にのってる丸いのって、やっぱり うばがもち ですよね! お茶飲むのも忘れて釘づけw
うばがもちの上のポチっとした白いのが描かれているディテールっぷりw
お皿の上に1個だけの うばがもち なので、おかわりの注文かな。それとも試食か。
昔の うばがもち は、白のポチっのところが大きかった。
画像引用元:草津市[市勢要覧]
今のは、こんな
デザートはうばがもち pic.twitter.com/uTCJUYuZNF
— ごん(ハゲプライアンス野郎) (@gon_w) December 31, 2020
奥で足だけ見える3人がしゃべってる。
扇子をもった人は、藍色の服だから店の女将さんか? 隣のお客さんのところに うばがもちを運ばせていると予想w
女将さんの前の席には、2人組。1人はうばがもちを食べ、もう1人は食後のキセルかな?
2人組の正面も、また2人組。1人はうばがもちを食べ、もう1人は食べ終わって足元を結び直して出発の準備か。棒の両端に大きな荷物で飛脚っぽい。
入り口付近の席に1人の疲れた旅人がお茶を飲んでいる。「やっぱり瀬田の唐橋回りにしとくか~」
そして、店先には籠にのったままの人と、暑くて汗をぬぐう担ぎ手が1人だけ。もう1人はお手洗いに行ったのか。
お茶屋の店の様子が、生き生きと描かれています。
勢多へ廻ろか矢橋へ下ろか ここが思案のうばがもち
旅人はこの矢倉立場(お茶処:うばがもち屋)で、うばがもちを食べながら
近道 と 回り道 どちらを行こうか思案しました。道に不慣れな者が、隣の旅人に相談すると「急がば回れ」と言われます。なぜなら、、、
「比叡おろし」
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) January 9, 2021
冬に琵琶湖の南湖(なんこ)に吹く西からの強風
矢橋の舟が数多く難波し、「急がば回れ」と言わしめた風https://t.co/3f98SukkBa
琵琶湖に吹く風
大晦日にかけての雪の降り方と風の変化イメージ.現時点の広島県の予想は30日以降、中国山地は大雪に、北部平地や南部内陸も積もるおそれ.また沿岸部も白くなる可能性あり.特に備北地域は30日夜~31日朝は風の収束よる発達した雪雲がかかって降雪量が一気に増えるおそれも.最新情報に注意ください pic.twitter.com/u3SV0h5mLv
— 岩永 哲(RCC気象予報士) (@iwanaga_tenki) December 28, 2020
特に冬の琵琶湖(南湖)には、「比叡おろし」という西風が吹いて舟が難破することがありました。比叡おろしは、比叡山のある対岸の大津側から矢橋港に向かって吹く「向かい風」なので、この風が吹くと帆船で矢橋から大津へ渡ることはできなかったということ。
よって、「急ぐなら、舟ではなく、遠回りだけど安全な瀬田の唐橋を歩いて行けよ」と経験豊富な旅人は言うのでした。
これが、「急がば回れ」の由来です。
急がば「琵琶湖」をまわれ
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) November 17, 2020
武士のやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋
(もののふのやばせのふねははやくともいそがばまわれせたのながはし)
勢多へ廻ろか矢橋へ下ろか ここが思案のうばがもち
「急がば回れ」の舞台は琵琶湖
「草津の矢橋」と「瀬田の唐橋」https://t.co/lMHjBpBBLg
滋賀県 pic.twitter.com/Sz4qaNpAXx
画像引用元: 瀬田から草津宿、石部宿、横田川渡し その1 | Are you Happy?
画像引用元:東海道名所図会と伊勢参宮名所図会
伊勢参宮名所図会 「草津」乳母ヶ茶屋
画像引用元:2017年10月 - WEB錦絵美術館
ここを、この旧東海道を大名行列が進んだのかぁ。絵に描かれているよりも道幅が意外と狭いように感じるけど、後にせまくなったのか、絵が誇張されてるのか。昔は車無いから今の道幅ぐらいでいいのかぁ(道幅が狭いので一方通行です)。矢橋(やばせ)の舟の船賃は、いくらだったんだろう。矢倉立場の絵の「かご」に乗ってみたい。めっちゃ揺れたんだろうなぁ。。。空想がふくらみますw
現在の東海道と矢橋街道の追分(分岐点)はこんな感じです。写真 ↓ の道(やばせ道)をまっすぐ行くと矢橋帰帆島公園の方向、「矢橋の渡し」で栄えた矢橋湊(港)の方向になります。
矢橋街道は、矢倉道標のある矢倉追分から始まって、矢橋港(琵琶湖)まで続きます。
矢橋街道を行くには、旧東海道から矢倉道標のところを「右やばせ道」の方向に曲がります。が、ずっと直進するとJRの線路にぶつかって行き止まりになってしまうので注意です。
直進してJR線路にぶつかるところ
直進すると線路にぶつかって行き止まりなので、その手前のここを右折します。
矢倉道標が建っていたお店(瓢泉堂)の看板がたっている建物のところを右折。
ここを右折して、しばらく行くと
ストリートビューでは工事中になってるJR線路のアンダーパスがあります。
ストリートビューは工事中だけど、グーグルマップ(写真)では、完成してますね。
現在は、ここの工事は完了していて、歩行者・自転車通路になっています。
なんか、すごい整備されてて、いい感じw
矢橋道の説明書きがあります。
矢橋道(やばせみち)と「急がばまわれ」
矢橋道は、東海道の矢倉村から分かれ、大津への渡し船の船着場(ふなつきば)・矢橋港へと至る(いたる)25丁(2.7km)の道すじです。東海道からの分岐点には『東海道名所図会』(ずえ)などにも描かれた草津名物うばがもちを売る店がありました。矢橋港までの道沿いには鞭崎(むちざき)八幡宮があり、港付近には船代官(ふなだいかん)の屋敷や船宿(ふなやど)も並んでいました。
草津宿と大津宿の間は、瀬田橋を渡る東海道の本ルートと、この矢橋道を経(へ)て矢橋から対岸の大津へと渡る渡し船ルートがあり、「急がばまわれ」のことわざの語源にもなったところでもあります。このことわざは室町時代の連歌師宗長(れんがしそうちょう)が
「もののふの 矢橋の舟は早くとも 急がば回れ 瀬田の長橋(ながはし)」
と詠(よ)んだことに由来するもので、矢橋・大津の間を渡し船は一見早道のようにみえますが、危険を伴うこともあるので瀬田橋を渡るほうが距離は長くても着実であることから、急ぐのであれば、多少の遠回りでも着実な方法をとるように戒(いまし)めたものです。
「もののふの(武士の)」は、枕詞で矢橋の「矢」にかかっています。
もののふ‐の【武=士の】
[枕]1 文武の官が属する氏は数が多いところから、「八十(やそ)」およびその複合語に、また「い(五十)」と同音を含む地名「岩瀬(いわせ)」にかかる。
「―八十宇治川(やそうぢがは)の網代木(あじろき)に」〈万・二六四〉
「―磐瀬(いはせ)の社(もり)のほととぎす」〈万・一四七〇〉
2 弓矢を帯びた武士の意から、「矢」と同音を含む地名「矢野」「矢田野」にかかる。
「―矢野の神山霞(かすみ)たなびく」〈玉葉集・春上〉
引用元: もののふのとは - Weblio辞書
通路は途中で曲がっています。
貨物列車が通りましたw
きれいな通路で、バッチリ線路の向こうへ出られます。
では次に、
矢倉道標の 文字 について見ていきます
「右やばせ道」と解説されていますが、ぱっと見たら「右やむせ道」?
「や ば せ」ではなく
「や む せ」? 「や え せ」? 「や 之 せ」?
と二度見してしまいます。
「ば」と読む字が、「む」のような「え」のような「之」のような字に見えます。
画像引用元:変体仮名 - Wikipedia
これは、古い ひらがな で「変体仮名」(へんたいがな)と呼ばれる文字です。
この「む」の点が無いような字は「は」と読む 古い ひらがな です。元の漢字は「者」
画像引用元:変体仮名 - Wikipedia
変体仮名(へんたいがな)は、平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていないものの総称である。
平仮名の字体の統一が進んだ結果、現在の日本では変体仮名はあまり使用されなくなったが、看板や書道、地名、人名など限定的な場面では使われている。
異体仮名(いたいがな)とも呼ばれる。
また、ケンペルの日本誌では、大和仮名(やまとがな)とも表記されている。
変体仮名に対し、現在使われている字体を「現用字体」「現用仮名」「正体仮名」「本則仮名」と呼ぶ。
つまり、文字としては(者は、ひらがなで)
「右や者せ道」と書いてあって、
音は「みぎ やはせ みち」
おぉ、その文字、どっかで見たことあるという人はいると思います。
そうです。これの文字です。
そば屋さんの看板などの文字の そ「ば」の文字です。
なるほど、「やばせ」と「そば」の「ば」は、いっしょの文字で納得です。
いやいやいや、ちょっと待った。
「そば」の方は濁点があるけど、「やばせ」の方は濁点が無い やん。。。w
ほんとや、濁点が無い。。。
「やばせ」ではなく、矢橋は「やはせ」と呼んでいたのか?
「やはせ」って書いてあったら、「やばせ」って分かるやろっ!と濁点は省略なのか?
謎です。うーん気になるw
画像引用元:
変体仮名の画像引用元:【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「あ行」
醒睡笑(せいすいしょう)の文字を確認してみると、「やはせ」で濁点は無し。
ん?、上の資料ですが、説明文には醒睡笑と書かれていますが、
写真の方は「雲玉和歌抄」になっています。。。ひっかけ問題かw
なので、雲玉和歌抄(うんぎょくわかしょう)の文字では、
「やはせ」で濁点は無し。
というか「いそかはまはれ」と、ひらがな全部の濁点は無しw
漢字は「舟」と「長」だけで、あとは ひらがな で書かれていました。
瀬田の唐橋は「からはし」ではなく、長橋(ながはし)と呼ばれていたようです。
長はしの「長」という漢字はくずれていてるので、これが、間違いなく長の漢字なのかを確かめるために、他の 長 を見て見ましょう。
某定食屋のポスターっぽく pic.twitter.com/ujcU8rsTPD
— u (@urako0924) April 12, 2021
長の漢字を使っているものと言えば、織田 信 長
織田信長の朱印状を見てみます。
画像引用元:織田信長朱印状
「信長」の文字は
二つの「長」を比べてみると
ほぼ同じくずし方なので、「長」の漢字で合っていそうです。
こっちが、醒睡笑(せいすいしょう)
「やばせ」で濁点有り。
画像引用元:
「いそがはまわれといふことは、
物ことにあるべき遠慮なり 宗長のよめる
武士のやばせの【ふねははや】くとも
いそがはまわれ 瀬田の長はし」
※判読不能【ふねははや】
【ハくすわか】に見える、、、写し間違い? 分かりません。
ここだけ、読めない。。。
上の雲玉和歌抄の「舟ハはやく」の部分と見比べると、百歩ゆずって
「舟⇔ハ」「く⇔ハ」「す⇔は(者)」「わ⇔や」「か⇔下のくの一部」と見えないこともない。。。
昔の文章を一言一句、読もうとするとハマるw(おもしろいほうじゃなくて、ドツボのほうです。)
書いた人の個人差が出まくって読みにくい「くずし字」をAIで判読するサービスがグーグルアプリとかで無料提供される日がきてほしいーw
画像引用元:
資料的には、文字として「やはせ」も「やばせ」もどっちもあったw
話がどんどん逸れてしまい、これ以上は 奥が深くて沼にハマるwので、
「やはせ」という音だったのか?
音は「や ば せ」だけど濁点を略してるのか? どちらなのかは謎としておきますw
なんとなく分かることは、なんとなくのままにして過ごすのが、昔のやり方だと理解しています。昔のいいかげんさ、というか、おおらかさは見習うべきところが多いと感じています。
「者」を「ば」と読ませる例もあったので載せておきます。
陳者(のぶれば)
【意味】申し上げますが
画像引用元:“陳者(のぶれば)”の例文|ふりがな文庫
ちなみに、矢倉立場の浮世絵の「う ば のちゃ」には濁点有りです。
高精細な絵で見ると、この解釈 ↑ は間違えてました。
屋根のところの看板は、お茶処なので「うば の ちや」「乳母の茶」という意味かと思っていたのですが、画質のいい絵で確認するのと「うば も ちや」が正解でしたw
画質が悪いと「の」に見えていた文字は、実は「も」でした。
画像引用元:【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「ま行」
下にも「うばもち」の看板があって、間違えていることに気が付きました。
最初に見ていた絵だと、これが看板だと分からなかったw 高画質すげー!
こっちの看板の「も」は、毛 のほうじゃなくて 母 のほうの ひらがな だと思います。
画像引用元:【みんなの知識 ちょっと便利帳】変体仮名(へんたいがな)- 「ま行」
で、言いたかったことは、「や は せ」は濁点が無いけど、「う ば もちや」には濁点があるということ。話が逸れまくってるw
しかし、昔の「枕詞」といい、「ひらがな」といい、昔の人の頭の柔軟さはスゴイなと思います。変体仮名は、同じ音なのに、いっぱい該当する漢字があって、その元になる漢字ごとにいっぱい ひらがな がある。「も」(mo)という音に対して、毛 を元にしたひらがなと、母 を元にした ひらがな、さらに 茂 などの他の漢字を元にした、多くの ひらがな がありました。そのとき、そのときの状況によって、たくさんのスイッチを切り変えながら文字を読んでいたということ。
説明が難しいけど、
助詞の「は」「へ」「を」の3字だけは、現在もスイッチが残っていて、
「わたしわこれおそこえおく。」はスイッチが入って、音は同じだけど
「わたしはこれをそこへおく。」になる感じ。
同じ音の「違う漢字を元にした ひらがな 」を、状況(スイッチ)によって使い分けている。昔は、全ての音にスイッチがいっぱいあった感じw 古文書 沼おそるべし。
昔の人は、ある意味「変態かな」と思うw (もちろん、変体仮名にかかっているw)
「これより廿五丁 大津へ船わたし」
廿(にじゅう)という漢字は、十十 じゅうが2つ横に並んで下をつなげた漢字です。十が2つなので、二十という意味です。船は、こっち「舩」の漢字ですね。
変体仮名を、ちょっとだけ覚えると、あのシーンのムスカの気持ちがちょっと分かりますw
マジで今この時のムスカの気持ち分かるわ笑 pic.twitter.com/AxvAB4NBLl
— 蠃 (@hatikunoyomayoi) February 7, 2021
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江戸方面
矢倉道標 ←今ココ
急がば回れの遠回り道
↓
京都方面
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以下、ネット上の反応
旧東海道矢倉道標。
— 赤サタ (@mapper_akst) August 12, 2017
陸路の瀬田の唐橋ルートと琵琶湖の矢橋の渡し(矢橋道)ルートの分岐点。道標には「右やばせ道、これより廿五丁、大津へ船は多し」と刻まれている。 pic.twitter.com/QMIuEOREpz
【🎞おさんぽの思い出🤳】
— 偽ニセたま【公式】 (@nisenisesanpo) August 9, 2020
のんびり中山道⛰六十九次🚶♂️0298
🚶♂️2次目✨#草津宿 をめざす🏞
矢倉道標
江戸方面から来た人を
「矢橋の渡し」へ導く道路標識🚸
舟を選ぶか徒歩か
ある意味で運命の分かれ道になる所
先程の
姥が餅(うばがもち)屋があった所🍡
ココを曲がってみよう😀#ぐでたま pic.twitter.com/0HQaqD9OO2
急がば回れ!
— ぼーい (@boo_SAO23) February 20, 2021
このことわざは、滋賀県草津(琵琶湖)に由来するそうです。
琵琶湖上を行く渡し船より、遠回りでも瀬田を通る陸路の方が確実ということ🌟。知らなかった💦。
瀬田の唐橋は、交通の要所で、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた橋で、日本三名橋の一つ。ちょっと豆知識でした pic.twitter.com/SFzKNgW7Tz
「む」の札は勢田の唐橋。
— スマイルデザインカンパニー (@erigoon) April 28, 2020
無理をせず 急がば回れ 瀬田の唐橋
瀬田川にかかる全長223.7 mの橋。「急がば回れ」とは、京都に行くには矢橋の船で行くのが早いけど、比良おろしで船が転覆しちゃうこともあるから、時間かかるけど瀬田の唐橋を通った方が確実だよ。という意味。#滋賀コレかるた #大津市 pic.twitter.com/IbpIJkDxrK