掘り返すと「高野遺跡」が埋まっていますが、普段は田畑です。
三上山(近江富士)と 高野遺跡
今回行われた発掘調査は、上の写真 ↑ に小さく映っているショベルカーのあたり。
発掘調査は、下の図 ↓ の [+] マーク のあたりです。
画像引用元:マップを表示|滋賀県防災情報マップ
上図の 赤線- は、古代の東海道 と考えられる跡地に描き加えた線です。防災マップで確認すると水色の浸水危険区域を「古代の東海道」がまっすぐ通っていたのですが、旧東海道は浸水危険区域を避けた高台に移されていることが分かります。今回、発掘調査された[+]マークの箇所から道路跡が見つかったという記事です。
滋賀県
— 南びわ湖エリア情報🛳️ (@minamibiwako) January 29, 2021
栗東市六地蔵の高野(たかの)遺跡
平安時代初期(8世紀末~9世紀初め)の
東海道とみられる道路跡
江戸時代に整備
以前
「近くの野洲川などがしばしば氾濫(はんらん)し、水害を受けにくい南側の高い位置に
平安初期の東海道か、道路跡を発見 滋賀・高野遺跡https://t.co/3ir2rTWvcW pic.twitter.com/KAj7TD96oS
遺跡:滋賀県栗東市六地蔵の高野遺跡付近。にょろ~んと伸びている線状の微高地は自然堤防っぽい。近世の東海道はその自然堤防に沿って大きく弧を描いていて、集落も自然堤防に乗っかっている。それらに対して今回発掘された古代官道は後背湿地をまっすぐ突っ切っているのか。無茶しやがって。 pic.twitter.com/52bUqkP2Xp
— えぬ%近刊『ドローン空撮で見えてくる日本の地理と地形』(3月中旬発売予定です) (@roadexplorer) January 29, 2021
江戸方面
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京都方面
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